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【かずおの掲示板】今、何をべき時か、そのことにより、、

2003年06月01日 (日) 15:46

またまた、自分としての人生の岐路にたたされた、他人から見ればどうでもないことかもしれない、行政書士会の会長と首う問題だ、仕事人間の私にとっては、重大なことだ、常々人の世話の前に自分のことはできているのか、プロとしての自覚があるのかと、人に問いながら、更に家内も当然役員になる事は大反対である。この事が今一度、自問自答の中にある、昼も夜も忙しく、残念ながら暇がないと確かに、暇がないほど忙しい、忙しいと言っても金になる事ばかりでなく、相談にのってやる事が多く、本来の仕事が夜になってしまうからである。その忙しい仕事を効率よくさばき、何かを削り、時間を作りだしやるべきなのかも。私の場合、自分の仕事に夢中になり、自分の身の回りだけしか見えていないのかも知れない、木ばかり見て森が見えていないのではと考えた、人は仕事を多くこなしている人ほど仕事のやり方が上手で、見かけ程は忙しそうには見えない。人を増やすと考えず.この陣容でどこまで出来るの力、、工夫ををすべきだとよくよく考えたら得仕事は社内でやる必要もないのかもしれない。外注にだすそうだ、かなりの部分を、アウトソーシングにだす、発想が必要なのだ、かたくなに人を増やすと言う発想ではだめだということだ、逆転の発想が必要、だという事は.だらだらやるのではなく、中身をもっと濃くすべきだとの発想。経審がまさにそうであったはじめは、流動比率が高ければ経審の点数はよかったし、固定資産が多けれぱ銀行は金を貸した、それを何十年も正しいと考えた、なぜなら、日本が高度成長の中にあったからに他ならない、盆正月の集金が、いつしか手形へと変わっていった、それも進化のひとつである、景気がいい時は日本人は人を疑うことが少なかった、しかし今はどうなのか、経審において考える視点が180度変わったのも、つまり世界会計基準という言葉をもって発想の転換に踏み切ったのである。あたかも、時はそうである力、のように不景気へと突入したのである不景気になることによって、思考が変わったのである、売掛金がいくら多くても相手の会社が倒産すれば、お金は取れないよと、手形なんか6ケ月も持っていても金利がつくわけではなく、むしろ割弓lをしなくてはならず、不渡りになる。可能性があるよ。売掛金なんて、まだお金ももらっていないのに立て替えるの、引っかかるかも知れないよ、その立替の金も銀行借入で会社が金利を払う。そんな利益は出ていないでしょう、固定資産は、不良債権の最たるもので、対象は長期借入金そのものだと、現金預金があるなら借入金は返しなさい。借入金はガンの基だから少ないほうがいいよと言っている。社長の貸し借り、仮勘定は会社と個人が混同し、使い込みであったり会社にとっては借入金となったりする、だから仮勘定はいずれもだめだよと更には支払手形が、エ事未払い金がこんなに多いとだめだよと言っていたが今は払う側だから、金利がつくわけでなく少しぐらいならいいよとなったのである。現金、預金が多くても借り入れが多かったら何にもならない、金利はつくし預金閃現金が多く借入金が多ければ総資本が多くなり総資本に対する利益率が少なくなるのである、しかし景気がよくなり、会社の倒産の心配がなくなればまた昔の経営分析が生きるのである。工事の前途金も同じ借り入れである、しかし官庁はこれを金利と呼ばす、手数料という言葉に代える、借り入れはいけないといいながら言葉を変えて、借り入れをさせているのである、だから違うところに身を置いて見ることも必要だ、木しか見えないのではだめだ、森を全体を見るようにしなくては。

必要なのは、今このときに対応できているか

今も、昔も少しも考えを変えようとしないひとばかり。病原菌でも抵抗力がつき、同じ薬では昔ほど効かない。世の中変わって、2匹目のドジョウを見ている人がいる。小川は整備され、ドジョウの姿は見当たらないけど、まだまだ妄想と、厳格の中に 2 匹目のドジョウはいるのであるいつの ) も変わらないのかというと、、歴史は好むと、好まざるにかかわらず、されるのである、景気になり、不景気になり、人が増えたり、減ったりと変化の中に、ゆっくりと、ゆっくりと繰り返されるのである鐸だから今このできているかが、必要なのである、私の場合、日本の中の仲間と出会い確認しているのである、金もかかるが、力もいただいている、でもまだまだ、木しか見えず、全体の森が見えていない。〔皆さん、宇宙・地球の大自然のなかに抱かれて見れば真理は近づく〕

【今月の一言】
いかなる場合も一番と 2 番は天と地、この差は、いかなる場合も、埋める事はかなわず

2番手はわがままを言いながら、理屈を述べ、あたかも物事がわかっているような勘違いをしている。トップは決断し、実行し、責任を取る、言い訳は誰にもできない、結果がすべてであるしかし 2 番手はトップと 3 番手以下の事をあれこれいいながら、言い、訳をするのである、、責任は自分にあること券を知るべきであり、その決断と、いさぎよさが、いつかトップへといざなわれるのである。上に立てば立つほど、責任は重くなり、多くのものを抱え込むことになる。なって見なくてはわからない世界でもある、それがゆえに、責任は重くなる。ボクシングはハングリーでないと成功しないといわれている。いかなる天才も、一番になったときに、その事がわかる、理屈ではいけない、それが-番という事である、その人しだいで、周りの人が影響を受けるのであるだからトップは、孤独との戦いでもある。暖昧さが、わが身を助ける燭合がある。しかし、その暖昧さが日本人自体であり、世界に通用せず暖昧さが、わが身を滅ぼすことになる、トップに立てば、暖昧さも通用しなくなり、決断を迫られ、間違えば身を滅ぼすのである理想と現実は、いつの時代も違うのであり、 10 人、人がいれば 10 の考え方があるのである、しかし、トップはその全体の中で、これが皆のためにはベストだと、決断実行の運びとなる、だから、暖昧さが何を意味するのか、日本人はそこのところは、うまく使い分けながら、気を使い、隣人と仲良くやっている。、しかし、これもつかの間のものであることを知らなければならない。

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